お知らせ

2023.08.18

合意退職の有効性


1 はじめに

企業側の顧問弁護士をしていると、「従業員を辞めさせたい」という相談は多く寄せられます。ただ、今の日本の法制度上、解雇が容易ではないため、まずは退職勧奨、話し合いにより従業員に会社を辞めてもらうという方法をアドバイスすることがほとんどです。

しかし、合意により退職してもらったと思っても、後日あの退職合意は本心ではなく(あるいは考え直したがやはり辞めたくないということも)、無効であると主張されるケースもあります。

そのようなことが争いになった裁判例を2つ紹介します。1つ目の裁判例は「労働者の自由な意思」を重視する判断をしたもの、2つ目の裁判例は双方で合意した以上それを尊重すべきと判断したものになります。

なお、1つ目の裁判例は、解雇に出来る証拠がないのに、そのような証拠が残っていると言って退職を納得させた事例であり、若干特殊な印象があります。

 

2 東京地判令和3年10月14日

まず、裁判例は、「労働者が使用者の退職勧奨に応じて退職の意向を示した場合,使用者と労働者との間の交渉力に差異がある一方で,退職が労働者にとって生活の糧を喪失するなどの大きな不利益を生じさせ得ることに照らせば,労働者による退職の意思表示というためには,当該退職の意向が示されるに至った経緯等を踏まえ,労働者の自由な意思に基づいて退職の意思が表示される必要があり,自由な意思に基づくといえるか否かは,当該意思表示をした動機,具体的言動等を総合的に考慮して判断するのが相当である。」という一般的な判断基準を定めました。

その上で、従業員が「本件面談全体をみると,原告が退職に当たって自らの要求を貫徹し,これを実現した面があることは否定できない」ものの、「原告は,本件面談の当初は,在職を希望していた」こと、「原告は,上記被告乙山及びB弁護士の一連の発言により,防犯カメラ映像に本件暴行の様子が記録されており,当該映像の存在及び内容を前提にすると法的に懲戒解雇や損害賠償請求が認められると認識したことにより,在職を諦め,退職の意向を示すに至ったとみるのが相当である」と、従業員が退職を判断した経緯を認定しました。

しかし、「本件面談の際,防犯カメラの映像を確認しておらず,しかも,当該映像には本件暴行の場面は記録されていなかったというのであるから,防犯カメラに本件暴行の様子が記録されており,当該映像の存在及び内容を前提にすると法的にみて損害賠償請求や懲戒解雇が認められるという,原告が退職の意向を示すに至った前提となる事情が客観的には存在しなかった」として、「防犯カメラの映像に本件暴行の場面が記録されているとの認識を持たなければ,退職の意向を示すことはなかったことが認められる。」としました。

「以上に判示したところを総合考慮すれば,原告は,被告乙山及びB弁護士から,実際には記録されていなかった防犯カメラの映像に本件暴行の場面が記録されており,これを前提として懲戒解雇や損害賠償請求が認められると言われ,在職を希望する言動から退職を前提とした退職条件の交渉に移行して退職合意書等に署名したものであるから,その自由な意思に基づいて退職の意思表示をしたものとは認められず,本件退職合意の成立は認められないというべきである。」として、退職合意は成立していないとされました。

 

3 東京地判令和4年9月15日

まず、裁判例は、従業員側が、最判平成28年2月19日を引用して、「労働者からの退職の意思表示の有無を判断するに当たっては、それが真意に基づくものであるかを慎重に検討すべき」と主張しましたが、裁判所は、原告が指摘する最高裁判決は、「就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無について、労働者が使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれており、労働者の意思決定の基礎となる情報を収集する能力に限界があることに照らし、当該労働条件の変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等といった事情を踏まえ、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点から判断されるべきものと解するのが相当であるとしたものであるのに対し、本件のように退職の意思表示の有無が問題となる場面では、労働者は、退職により使用者の指揮命令下から離脱することになるのであって、退職に伴う不利益の内容を十分に認識し得るといえるから、本件は、上記の最高裁判決とは事案を異にするものといわざるを得ない。」と、労働条件の変更時と退職時では状況が異なると判断しました。

その上で、本件では、退職の申出とその承諾により退職合意が成立したとしました。